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私の原点~都留高校、中央大学、八王子 [ヒストリー]

パンフレット「こんにちは藤本 みのる」より
「積木くずし」の時代 都留高生徒会での体験 《変えるとは、つくりだすこと》私の原点

【混沌から秩序へ】

 生徒集会での先生の怒声、一部上級生の暴力支配と学校の荒れ――「何かを変えたい」と生徒会役員選挙に立候補しました。上級生から暴力支配を受けてきたグループの悲痛な体験も聞き、「俺たちの代で変えるべさ!!」と生徒会本部の活動を始めました。彼らはこれを「俺たち維新軍」と称しました。
 暴力的支配の力関係を生徒自治の力で変えようとしたのです。生徒自治の力をつくり出すのは一人ではできません。教師、生徒、父母(地域)相互の力が必要です。ここに重要な働きをしたのが学園祭【若鶴祭】でした。


【若鶴祭―感動、びっくり、開閉祭行事】

 それまで一部の人たちだけで盛り上がっていた【若鶴祭】でしたが、準備した【若鶴祭】は「鳥肌立ちっぱなし。ああいう感動は言葉に表せない」と全生徒を感動させ、初のエレキバンドの中庭演奏では学園祭の趣旨説明と了解を得るために近隣に加えて中央病院まで足を運ぶなど、生徒主役で総合的な学園祭として成功させました。都留高の伝統に《仲間を育てあう素晴らしさ》というページを刻みました。それまではなり手がなかった生徒会役員でしたが、次の年には五人も立候補して学校の雰囲気がガラリと変わりました。


~~~【当時の生徒会顧問 淡路克浩先生の談話】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 藤本実君は一本気で突っ走るところがあるが、新しい試みにひるむことなく挑戦し、都留高生徒会の歴史の中でも画期をなす仕事をしたと思います。人生の基礎をなす高校時代にあのような生徒会活動をつくりあげたことは彼のその後の人生を大きく変えたことでしょう。今回、一回り大きくなって故郷に戻ってきた藤本君の活躍に期待しています。
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【社会に目がひらかされた学生時代】

 中央大学に入学して、宇宙や人間の歴史、最新の科学研究にふれて自分の視野の狭さに衝撃を受けました。先輩に党員がいて日本共産党にも出会いました。大学2年で友人たちと現代社会科学研究会を立ち上げ、先生や院生の指導も受けてマルクスの『資本論』を読みました。卒業論文は「日米経済摩擦」で、経済学部の各ゼミから1人が掲載される論文集に推薦されました。
 サークルや民青同盟の仲間と学費問題や社会問題など多彩な活動をしてきました。広島に自転車を担いでいき、原水爆禁止世界大会に参加したのも思い出です。


~~~【中央大学経済学部 米田貢教授】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 25年間のゼミ指導の中で、藤本君ほど研究者の道にすすむべきだと思った学生はいません。期待とは裏腹に、彼は「社会的弱者のために」と日本共産党に就職(?)しました。親思いの彼が、今度は故郷に戻って地元の活性化に全力をつくします。大月市民の皆さんがうらやましい。)
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【よりよい社会をめざして20年 新聞配達から国政候補まで(八王子)】

 就職時に株取引のディーラーか日本共産党の勤務員になるか迷いました。1人でも多くの人を幸せにできる仕事として、藤本さんは共産党を選びました。アメリカ中心、大企業中心で国民のくらしが二の次とされている政治を変え、国民が主人公の新しい政治をつくりだしたいと考えました。
 最初の5年間は朝3時からの赤旗新聞の配達の責任者をして、その後は八王子地区の指導部の仕事をしてきました。また、地域住民の要求実現のために尽力してきました。その後、衆議院候補となり、国政に2回挑戦、「茶髪の候補」「ニュー共産党」などと新聞にも取り上げられ、テレビ出演もしました。

***《ちょこっとコラム》******************************

 根が真面目なので、見た目にギャップがあっても良いのでは・・・と茶髪にしました。人気声優に似ていると言われて喜んだりしました。共産党には、お笑い出身の議員などもいるんですよ。(妻・藤本亜紀子)

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